1983年、東京生まれ。34歳で「多発性骨髄腫」というガン告知を受けた、写真家・幡野広志さんの写真展へ行ってきました。
■イベント名
幡野広志 作品展「優しい写真」
■会場
東京都中央区銀座5-8-1
銀座プレイス6階
ソニーイメージングギャラリー銀座
(東京メトロ銀座駅A4出口直結)
■開催日時
2018年11月2日(金)~11月15日(木)
11時〜19時
■入場料金
無料
幡野広志さんとは? 日経DUALにてインタビュー
写真展のはなしの前に、幡野広志さんについて。
働くママ&パパに役立つノウハウ情報サイト「日経DUAL」にて、幡野広志さんのロングインタビュー全4話が公開されています。インタビューでは、発病時のようす、闘病生活、余命への心構え、家族のことなどが語られていました。
■関連リンク
写真家・幡野広志 ガンになり、思う。「人生は好きなことをやる時間」(連載バックナンバー):日経DUAL
日経DUALの記事より、少しまとめながらご紹介します。
腰痛だと思ったら、多発性骨髄腫という血液のガンだった
2017年6月、背中が痛くなってきたので、市販の鎮痛剤を飲みはじめます。なかなか治らないので整形外科でレントゲンを撮ってもらいましたが、ここでは痛みの原因はわかりませんでした。
痛み出してから4か月後の、2017年10月。背中にピキッとした痛みが走り、「ギックリ腰」だと思いました。しばらく養生しても治らない。そのうちに、じっと寝ているだけでも、耐えられない痛みを感じるようになりました。
その後、大きな病院でMRI検査を受けたところ、胸に腫瘍があることがわかりました。
ガンです。
医師から「治りません」「余命は平均して3年」と告知
さらに大学病院で長期間の検査を受け、2018年1月、「多発性骨髄腫」という血液ガンであることが確定しました。多発性骨髄腫は、現在の医療で治った人はいないそうです。
余談ですが、幡野広志さんの元看護師。20年前ほど前にガン治療の現場にいたとのこと。
当時、多発性骨髄腫は凄まじい死に方をしたそうです。骨がスポンジのようにスカスカになり、寝ているだけで骨折します。胃液を吐いて、緑色の胆汁も吐いて、とんでもない最期を遂げていたのです。幡野さんは「俺もそうなるのか」……と。
多発性骨髄腫の確定後、放射線治療や抗がん剤治療が始まりました。血液のガンですので、切り取る外科手術はできません。
追い討ちをかけるように、医師からは「治らない」と告げられます。すでに最終ステージで、「生きられるのは平均してあと3年」とも。
___このとき、息子さんは1歳半。
ガン告知後も、シャッターを切り続ける幡野さん
幡野さんはガン治療の過程で、平衡感覚を失い、片目をつぶれなくなりました。カメラマンとしては致命的ですよね。
でも、幡野さんは写真を撮り続けました。
家族写真だけではありません。個人の方から「撮影して欲しい」とたくさんの依頼を受けるようになったのです。
そして2018年10月、息子さんが2歳の誕生日を迎えました。
ここからの話や、もっと詳しい内容は、日経DUALをご覧ください。
写真家・幡野広志さんの作品展「優しい写真」へ行ってきました
入場は無料、会場内の写真撮影はOKです。ただし、他のお客様の迷惑にならないようご注意ください。
幡野広志さんからの、イベント開催メッセージ。
幡野広志さんのプロフィール。
以下、展示作品の一部をご紹介します。
息子の優くん、0歳
息子の優くん、1歳に
【写真に添えられたメモ】1才の誕生日。まだロウソクは吹き消せないけど、なんでも口に入れるようになった。
【写真に添えられたメモ】すこし大きなビニールプールをかったけど、ビニールプールに水をはるためのすこし大きなバケツに入って遊んでいた。
【写真に添えられたメモ】このごろお父さんのマネばかりしたがり、鉄砲やカメラを持ちたがる。
ぼくのからだにガンがあることがわかった
数日前、ぼくのからだにガンがあることがわかった。落ち葉まみれになってあそぶ二人が、ぼくのいない世界せ生きているように感じた。
【写真に添えられたメモ】妻がこっそり出かけたことに気づいて大泣きする息子。ぼくがいなくなったあと、きっとこうやって泣かせてしまうのだろう。
保育園の入園式
【写真に添えられたメモ】保育園の入園式に親子で着なれないジャケットをきた。息子の新しい生活がはじまった。
お母さんと遊んでいたいのか、保育園に行くのをいやがる。
息子の優くん、2歳に
【写真に添えられたメモ】2才の誕生日。1年まえ吹き消せなかったロウソクを吹き消すことができた。
保育園のお迎えにいった。いつもはお母さんだけなのに今日はお父さんがいるのでびっくりしている。10分の帰り道を30分かけて一緒に帰った。
保育園の夏祭り。息子は甚兵衛、僕は浴衣。妻が撮る優とぼくの写真はいつも笑っている。
日常こそが宝物
息子さんが誕生し、1歳のころにガン告知を受けます。
そこから、どんな思いでカメラのシャッターを切ったのだろう。奥さんや息子の優くんと、どんな気持ちで接してきたのだろう。
とても可愛い優くんの日常の姿を見ながら、僕は無意識に自分の息子(4歳)と重ね合わせていました。電車が好きだったり、公園の水道で遊んだり、傘をさして歩けるようになったり、保育園の送り迎えをしたり……。
そこには、僕の息子も歩んだおなじ光景がありました。
でも、僕には「息子と、もうすぐお別れだ」という気持ちはありません。もしかしたら、突然事故や災害にあってこの世を去るかもしれないし、大きな病気になるかもしれない。でも、そんなことを考えて生活をしていません。
幡野広志さんは、医師に「治らないガン」だと告げられ、刻一刻と迫るその日を覚悟しながら日々を送られています。
作品展は、息子さんが生まれたその日からが綴られていました。
家族との日常が、もっとも大切なことだったのでしょう。
「きっと奇跡は起きる」などと、軽率なことは言えません。幡野広志さんとご家族が、少しでも幸せに満ちた一日一日が送れますよう心よりお祈り申し上げます。
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