今回は、個人的なローカルな話題を。
わが家のそばに、世田谷公園という大きな公園があります。その公園内に、「自分の責任で自由に遊ぶ」をモットーにした遊び場『世田谷プレーパーク』があります。ここでは、子供たちが自分で焚き火をして料理を作ったり、木を切ったり、釘を打ったり、手作りの遊具で遊んだりなど、子供たちが自由な発想で遊べる公園です。
と言っても、ちょっとわかりにくいですよね。
イメージが湧くように、うちの息子が遊んでいるようすなど、まずは写真でお伝えします。
どうでしょう。伝わりましたでしょうか? まるで山のキャンプ場ですよね。ここにある遊具も、一般的な公園にある既製品の滑り台やブランコではなく、手作りのブランコや滑り台なのです。
世田谷プレーパーク、スケートボードランプが2017年4月に撤去
そんな世田谷プレーパーク内には、手作りのスケートボードランプがあります。僕はスケボーをしないので詳しくは知らないのですが、ランプとは半円状になっていて、その起伏で技を魅せる台(設備)のことです。
しかし、実際世田谷プレーパークでは、スケーターが使っているというより、子供たちの滑り台としてよく利用されていました。僕の息子の鼓太郎も、よちよち歩きの頃からこのランプに果敢に挑み、これまでずっと遊ばせてもらってきました。上の動画がその様子です。
2017年4月末、そんな思い出いっぱいのスケボーランプが、撤去されているのを知りました。
……んっ!?
えぇっ!!
無くなってる……。
スケボーランプが撤去された跡地には、以下の張り紙が残されていました。
ここには、スケーボーランプができた経緯から、閉鎖されるまでのことが書かれていました。かいつまんでご紹介します。
- 1993年、当時のプレーパークのリーダーが滑る場所がなく途方に暮れていた地元スケーターに「自分たちの責任で自由に遊ぶコンセプトを元に、お前ら自分らでつくっちゃいなよ!」と声を掛けたのがきっかけ。
- スケボーランプのデザインはhltozuki、製作はWooden Toy。
- 日本各地、海外からのスケーターが集まり、東京の重要なスポットとしてカルチャーを発信して行くようになった。
- 4回のリニューアルを経て、維持して行くのが困難となり(スケボーランプとしては)活動を休止していた。
- できてから25年が経った。
- クローズの前に、ランプの張り替え作業を行い、滑り、自分たちで解体しよう。それをみんなに体験してもらおう、と計画を立てた。
- 最後の作業は、これまで設計・現場監督として活動してきたのがWooden Toyの大場康司さんのもと進められた
- 再生費用は9万5,000円ほど。カンパを募った。
- 2017年3月11日〜12日にかけて復旧作業を行なった。
- 同年3月22日〜4月8日まで一般開放。子供を優先して滑走した。
- そして、同年4月9日、最後の解体を行ない、25年の歴史に幕を閉じた。
そんなドラマがあったんですね。
僕たちは、わが子が生まれてから遊びに来るようになったので、まだ2〜3年ほど。これまでの経緯はまったく知りませんでした。また、最後のクローズ前の修復・開放・解体についても知らず、気づけば更地。最後のランプとスケーターの勇士を見ておきたかったです。
プレーパークは、たんなる公園ではありません。僕はまだまだ深くは知りませんが、その成り立ちや、遊具ひとつひとつについて、もっと興味を持って接して行きたいと思います。
プレーパークを見守り続けているプレーワーカーのみなさん、いつもありがとうございます! 感謝とリスペクトです!!