小学3年生(9歳)の息子が、ここ最近、ずっと悩んでいます。
自問自答、パパママに質問、友達にも相談。ずっと考えているようです。
悩みが壮大すぎる……
とはいえ、これは誰しもが考えること。歴史を振り返ると、頭のいい人達が研究したり、権力者が死から抗おうと不老不死を求めたりしてきました。
命 = 時間、小学3年生の同級生が回答
そんな息子は、クラスの同級生Y君に相談したそうです。
時間があるから生きる。つまり……
- 時間 = 命
- 命 = 時間
これは深い! 小学3年生で、こんな発想ができるなんて、存在するあらゆる物質を超越しているように思えます。
時間が命を構成し、命は時間で構成されている。
命とは時間なのです。そして、その時間が尽きると……死ぬ。
一言では言い表せませんが、「1分1秒をしっかり生きよう」と思える素晴らしい回答です。
「人間は死ぬのに、なぜ生まれてくるのか?」 父も考えてみた
【ロマンス的観点】恋をするから
男女は恋をして結ばれる。
そして、子どもが生まれる。
生物とは恋の連鎖であり、命は恋の産物である。
【科学的観点】種の保存本能
あらゆる生物には遺伝子情報が組み込まれ、それを子孫に伝え、種を保存しようとするよう生物の行動や心理に本能として備わっている。種族で群れたり、子を可愛がり育てるのも、種の保存本能だと言われています。
ただ、種を全体として捉えれば本能だといえますが、個別にみるとそうでは無い者もあり、ひとことで本能だと言い切れないという考えもあります。
少々ややこしいですが、種が自らの意思で絶滅に走るとは考えづらく、大枠として「命は本能により誕生し、本能により生きようとする」と言えるでしょう。
【仏教的観点】生きる理由は特になし
宗教では、命や生きる理由はどのように説明されているのでしょうか。まずは仏教を見てみましょう。
仏教では、私たちが生きる理由や意味は特にないとしています。しかし、そのような人生の中で、生きる意味を自ら発見していくことによって、絶望することなく生きていくことができる、と説いたのが釈迦の教えなのです。ZENzine / 禅人 より引用
あぁ、なんとも仏教らしい印象。
「答えは自分の中にしかなく、それを知りたければ生きよ」
そう教えられている気がします。
【キリスト教的視点】人が独りでいるのはよくない
キリスト教ではどうでしょう。
天地創造の6日目、神様は自分をかたどった土で人を創り、その鼻に命の息を吹き込みました。そして、生を受けた最初の人間に「アダム(Adam)」と名付けます。このとき、イブはまだいませんでした。その後、神様は「人が独りでいるのはよくない。彼に合う助ける者を創ろう」と言い、アダムを深く眠らせました。眠っているアダムからあばら骨を1本引き抜いた神様は、それで女性を創ります。これが人類最初の女性であり、アダムによって「イブ/エバ(Eve)」と名付けられました。
ターキッシュエア&トラベル より引用
命は神様の賜物ということかな? ちなみに、イブには「生きる者」または「生命」という意味があるそうです。
子ども達は「何のために生まれてきたのか?」を知りたがっている
ところで、子ども達に人気のアニメ「アンパンマン」。ここにも命や生きることへのメッセージは込められているのをご存知でしょうか。
オープニング曲の歌詞の一部をご紹介します。
何のために生まれて
何をして生きるのか
答えられないなんて嫌だ!
今を生きることで
熱い心燃える
だから僕は行くんだ
微笑んで
そうだ 嬉しいんだ
生きる喜び
答えはわからないが、親としてわが子に「生まれてきてくれてありがとう」を伝えている
以上、息子が抱える悩みについて考えてみました。もちろん答えがでるはずもなく、永遠のテーマとも言えるでしょう。
息子は、自分自身が生きていく意味について、これから成長しながら感じたり考えたりするのでしょうね。
僕は親として、わが子には「生まれてきてくれてありがとう」「この家に生まれてきてくれて、パパは心から幸せです」とは、日々伝え続けています。
僕は、息子に対してそれほどの高望みは無く、ただただ居てくれるだけで感謝なのです。命や生きる意味は、見方によっても変わってきそうですね。